HISTORY OF
ASAHIKEN
チョコケーキ
旭軒の歴史
旭軒は1912年明治45年・大正元年に誕生し、この地、西屋敷28-1番地で「旭軒」という名が代々受け継がれてきました。
としておりますが、実際の歴史は遡ると更にもっともっと古く正確な年号を知り得ることができませんできませんでしたので、
一代前、祖母末子が生まれた1912年を創業としています。
私の一代前、祖母末子はその前の代から「旭軒」を引き継ぎ「和菓子屋」として旭軒を営んでおり、
当時はまんじゅうなどを販売しておりましたがそれだけでは家計が回らなかったため、
私の母ゐさ子と共に同じ敷地内で民宿や喫茶店、麻雀荘も一緒に営んでおりました。
小さな頃から一生懸命に働く大人の背中を見て育ちました。
周りを見渡せば手に職を付けて自分で店を切り盛りする大人ばかりでしたので、
私も何の迷いもなく職人の道を選んでおりました。
この頃「旭軒」を継ぐとこは頭にはまだありませんでした。
大阪にある、あべの辻製菓専門学校の一期生として卒業後
東京は「銀のぶどう」「ぶどうの木」、神戸では「ラ・レーヌ・アン」
そして一番最後の修行先は東京の広尾にあるフレンチ「レストランひらまつ」。
オーナー平松宏之氏の元で修業を積んでおりました。
私は当時27歳。
ちょうどその頃母が倒れ、祖母も高齢で病院に入ることを余儀なくされていました。
苦渋の決断でしたが、東京の「レストランひらまつ」を退社し「旭軒」を継ぐことを決意しました。
後を継ぐと言っても初めはスタッフ私一人。
ヒット商品も目玉商品も・・・これといって何もないお店でした。
初日の売り上げは今でも忘れる事ができません。
たった1200円。
とにかくお店を流行らせたい!!お店に人が並ぶようになるには?
お客様に美味しいと言って頂けて、安くて、ボリュームのある親しみがあるものは何だろう?
そして当時まだ知名度がなかったバニラビーンズを使ったシュークリームを試行錯誤し完成させました。
今となれば「昔ながらのシュークリーム」と言っていただけますが、
その頃はバニラビーンズの認知度が低い時代でした。
お客様から「砂が入っている」と御叱りのお電話を頂いたこともしばしばありました。
バニラビーンズを見せて「黒い砂のように見えるのはこれです」とご説明した事を鮮明に覚えています。
これが今では旭軒の名物となりました「西屋敷」です。
「西屋敷」という名前は旭軒の地名から命名しました。
その後今もなお、色々な種類のシュークリームを創っています。
「西屋敷」をはじめとした旭軒のシュークリームの総称を、
旭軒の番地である「28-1」と命名しています。
そして時は2000年平成12年。当時私は35歳。
ショーケースの中の売れ筋だったデセールがチョコレートのケーキだった事から
アイディアを得ました。これを、日持ちし、更に美味しく改良して、全国に発送できないか?
試行錯誤の日々が続いていました。
それがついにこの年に完成する事となります。
これが今では旭軒の看板商品となりました「ほんの手前みそ」です。
お客様にはよく「お味噌を使っているんですか?」と聞かれますが「お味噌」は使用しておりません。
この名前の由来は
【手前味噌】:自画自賛・自分で自分を褒める事。ということわざから・・・
「自慢したくなるほどの最高傑作」という想いから、この焼菓子に「ほんの手前みそ」と命名しました。
贈答にされても喜んでいただける逸品です。
"ほんの手前味噌"ですがどうぞこの味を皆様にも一度召し上がって頂きたく思います。
最後に・・・
私は愛知で生まれ育った職人で、
「和」の風情を「洋」菓子に・・・
これは私のお菓子創りのテーマです。
これまでには愛知の方言や文化、伝統行事などからイメージをした焼菓子なども沢山創ってきました。
旭軒のギフトにはそんな焼菓子が詰まっております。
旭軒のお菓子を通じて、
「日本の素晴らしさ」や「心」が伝わる、
そんなお菓子創りをこれからも続けていきたいと思います。
私が胸を張れるたった一つの事は「お菓子を創ること」
そして、「美味しい」のその先の「何か」をお客様に感じていただく事ができたなら・・・
職人としてこれほど光栄なことはございません。
なごやかにして名古屋菓なるものを・・・・との願いです。
悠久の夢を語りかける素晴らしい歴史・心をなごませてくれる豊かなる自然
この地だからこそ生まれる出会いが在ります。
こつこつと気持ちを込め素材を練り
ついついぬくもりと情を注ぎ焼きあがる
時が過ぎゆき時代が変わっていっても人の "心の感動は”変わらずに残ってゆく。
裏側で心を砕き懸命に打ち込んだ分
多くの人の心をなごませ記憶に残る
生まれ育ったこの地 尾張・東海を愛する一人として
ささやかな”心お一つ”
尾張・東海の優しさを"心ゆくまで".
旭軒 蟹江健史